本学は開学50周年を迎えました。その記念式典が某ホテルで盛大に開催されました(概要は直前の記事(リンク)を参照ください)。本記事はその模様を報告するものではありません。国会議員の先生、文科省の方、他大学の学長の方々など、多くの方に参列いただきました。格調高い式典、祝賀会を報告することは、恐れ多いです。
ここでは、チャンスというかタイミングを確実に捉え、そして見事に欲しいものをゲットした事例を紹介します。
分かりますか?向かって右は、大洋ホエールズでトップバッターを長く務めた中塚政幸さん(盗塁王のタイトルも獲った俊足巧打の方です。引退後、40年近くもコーチ、スカウトとして大洋、横浜に在籍されたようです。そんな年齢には見えませんでした。)。左は、言わずと知れたエースピッチャーの平松政次さん(沢村賞1回、最多勝2回を始めタイトルたくさん。最多敗戦3回(これも男の勲章だと思います)、カミソリシュートは有名です。今でいうマー君のスプリットみたいなもんです。)です。真ん中が筆者です。
すごく気さくで、明朗、快活なスポーツマンでした(当たり前ですけど)。快く写真撮影とブログへのアップを了解してくださいました。話すことができた時間は短かったのですが、温かな人柄は感じることができました。しかし、体の大きさが全然違いますね。元野球小僧としては、プロ入り?を諦めてよかったです。
平松政次さんのサインです。遠慮なく、シュートで内角を攻める気持ちでお願いしました。のけ反ることなく、快諾してくれました。
こちらは、松原誠さんのサインです。松原さんは大洋の4番を長く勤められました。最多安打2回、オールスター出場11回と言えば、その凄さが分かると思います。初安打:坂東から、初本塁打:村山から、初打点:金田から、という記録を見ると、近代野球の生き字引みたいに感じてしまいますね。プロ野球選手会の会長も務められたようです。確かに非常に理知的な感じがしました。そして、何よりも人望があるという証ですね。
ということで、個人的に非常に嬉しい50周年記念式典になりました。元選手の方々に多くの人が集まりました。したがって、残念ながら十分にお話しすることができませんでした。「いつの日か、我、(元)プロ野球選手とじっくり野球談義をせん」という人生目標を達成したいと思うものであります。
本学の創設者は大洋漁業(マルハ、と言った方が分かる方も多いかな)を興した中部謙吉翁(リンク)ですが、大洋ホエールズのオーナーでもありました。そのときのつながりを今も大切にしてくださっている松原さん、中塚さん、平松さんに心からお礼を言いたいです。次の機会を楽しみにしています。
11月25日追記
誤記がありました。指摘してくれた藤村先生に心から感謝いたします。野球の知識には自信がありましたが、私以上の(笑)人もいたことに愕然、ちょっとショックです。が、掲載記事をよりよくすることは、筆者の責任でもあります。その意味でも藤村先生に感謝したいと思います。
私も平松さんのお話は、前の方へ出て聞いていました。あれだけの投手だった人ですから、私も何言葉で表せない何か(いわゆるパワー)を感じました。それにしても、会場へ色紙を持って行くという準備というか思い入れには感服!
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