いい年の“オヤジ”が嬉しいとはどういうことか?と思われると思います。
この年齢になると、次世代を担う若者の成長を感じるときが、最も嬉しく感じるときの一つです(もちろん、いくつになっても異性から好かれることも嬉しく感じるときであることは否定できませんが。ちなみに、私の研究室を希望してくれた女子学生は目下0人です)。
下の写真を見てください。修士の学生の実験の設定のために、研究室の学部4年生が自主的に手伝っている姿です。
・仲間のやっていることを見て、その状況を理解して何が必要かが自分で判断できる。
・自分が支援できるところを自分で探すことができる。
・仲間を支援しようとする気持ちがある。
という証です。
元々そのような資質と能力が彼らにあったということでしょうが、研究室で成長したのだ、と勝手に解釈しています。この意味で、嬉しいと感じているのです。
おめでたい男なのかも知れませんが、馬齢を重ねた今では、何でも自分に都合よく解釈してよい気分になることも人生を送っていく上で必要なことのように思えます。若いうちは、“おめでたい男”とは否定的な意味になりますが・・・
実験系の設定、データ取得の支援といっても単なる作業ということはないです。他の仕事と同じく、それなりの知識や状況把握が必要であることに変わりはありません。
制御対象である走行ロボットを設置したところでしょうか?スペースが必要なため、廊下というかラウンジで実験を行っています。電源確保のための延長ケーブルを用いています。
「人を残すは上、仕事を残すは中、金を残すは下」という言葉があります。かなり気に入っている言葉です。お金を持っていない私が言っても説得力に欠けますが・・・。我々は、何を残す人生を送ることができるのでしょうか?
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