文章を書くときは、どんな文章でも同じと思いますが、○○のことを書く、というテーマを決めてから書くのが当たり前です。が、このブログを書きながらもまだ、内容が決まっていません。ということで、写真を見ながらつれづれなるままに書き記します。
去る24日(土)に、篠原君(2012年3月に修士課程了)、秋山君(今年3月に同修了)の二人が研究室に来てくれました。二人は、ともにそのときの情報工学専攻の総代です。
篠原君は、9:30出社、23時終業(帰宅は24時過ぎ)という状況とのことです(若いうちに多くの経験を積んで、実力をつけてほしいです)。
秋山君は、新入社員ということもあり、超勤はそれほどでもないようです。先日“お持ち帰り”になった故障機器を独身寮で夜なべをして修理して持参してくれました。
二人のサーバサイドシステムの構築技術、組み込み技術とプログラミング技術は研究室に大きな貢献をしてくれました。彼らが開発した「授業支援システム」、「地域の防犯システム」、「学内使用電力見える化システム」は多くの学生や厚木市森の里の住民に使われています。また、現在の研究室の研究のベースになっています。
菅谷君と村田君がやっている手指形状認識システムの認識特性をいろいろ条件を変えて様子を見ているところ(小姑みたい、とは言わないで)。条件を変えて出力結果の変化を確認する、そしてその原因を考察するという技術者としての姿勢が自然に現れています。根っこから技術が好きなことが分かります(仕事でやっている私とは大違い・・・)。これは彼らの資質そのものです。このような彼らの何気ない姿勢やプログラミング能力を間近に見てきました。「俺よりも優秀ではないのか?(いや、そんなはずはない)(笑)」と何度思ったことでしょうか?
ますます風格に磨きがかかった篠原君。185cm、100kgの体格が活きています。ちなみに隣の菅谷君(M1)は、減量中で7kg落としたとのこと。うーん、どうせできないだろ、と安心していましたが、私もうかうかできません。来週というか今週は、飲み会の連続だし・・・
こちらは相変わらす謙虚な秋山君。185cm、70kg台(と思う)の体格が活きていません。もっと偉そうにしていろ、と言っていますが・・・。彼の田中将大(楽天のエースピッチャー)ばりのガッツポーズを見たいものです。
先輩からの出資もあり、いつもより豪勢な会食となりました。私は食べ物の写真は撮らないのですが、最近の若い人はよくその写真を撮りますね。確かに記録としての意義は大きいと思います。おいしかったと言ったり、きれいだったと言っても言葉でも表現できないですね。
だいだい皆でやっているときは環境映像?としてテレビをつけます。この日は、7チャネルで懐メロ番組(といっても池上彰氏による歴史解説と宮本アナウンサーによる曲の紹介等があるもの。面白かった)があり、それを見ながら鉄板を囲みました。
先輩に最近の状況を話す、というのが今回の飲み会の話題でした。トルコのイスタンブールへの出張を断念(関連記事は、こちらとこちら)した屋良君がその説明をしているときに、「飛んでイスタンブール」という曲が流れました。私はかつてよく聴いた曲ですが、彼らは知らない曲のようでした。
テレビでは、戦争の話もありました。「親族で戦争に行った人はいるか?」との私の問いに対して、村田君より、「おじいちゃんはシベリアに抑留されていました。しかし、引き上げてきたとき迎えが誰一人もいなく、グレてしまったようです。」という家族の歴史の話もありました。その直後に、テレビで「岸壁の母」の説明があり、一同おおいにそのおじいちゃんに同情しました
■高校生の皆さん、是非ご両親に「岸壁の母」について聞いてください。そのような歴史があったことを認識してください(試験には出ませんが)。
私にとっても学生時代に聴いた懐かしい曲や切ない曲(そのときは、飲み会がシーンとなってしまいました)があり、最後まで見たかったのですが、何せ自宅が遠方なこともあり、私は途中で帰宅しました。「片付けもしないで、申し訳ない」と言ったら、篠原君より「毎回なんで、関係ありません。」という温かい?言葉がありました。本当のことをずけずけ言う姿勢は相変わらず変わっておらず、安心しました。
ということで、夏休み終盤を迎え、課題を抱えながらも何とか残りを頑張っていこう、という感じの飲み会になりました。卒業生も忙しくてなかなか研究室には来られないと思いますが、気楽に研究室に来てくれたらと思います。私にとっても、今研究室にいる学生にとっても先輩が来てくれることは有難いことです。