2014年11月9日日曜日

国際学会 in バンコク 番外編

 発表セッションの翌日に、チュラロコーン大学の先生は、ツアーを学会参加者のために準備してくださいました。学部長の命?もあり、参加しないことはできません(^ ^)。学部長の配慮に感謝です。国際理解と交流に直結します。

行き先は、アユタヤという1418世紀中ごろまで栄えたシャムの王国です。私が中学生だったときの歴史の教科書には、シャム、アユタヤ、日本人町、山田長政という文言が並んでいた記憶があります。戦国時代末期から江戸時代初期は、日本から東南アジアに多くの人たちが出て行ったようです。

遺跡が集中しており、主だったところを案内してくださいました。Elephant Villageなるところもあり、そこでは乗象しました。象は古代の戦いにも使われたと聞いていますが、結構揺れるので、もう少しで酔って○○しそうでした。一つ一つの遺跡はとても紹介できないです。ポイントは、東大寺の大仏よりも大きい(と思われる)金ピカの仏像、木の中に埋め込まれているような仏像(木が勝手に埋めた、というのが正しい)、ビルマのとの戦いで建造物を覆っていた金やその他財宝が略奪された、っていうところでしょうか? 代表的な写真のみ、掲載します。

より北部に行けば、“戦場に架ける橋”の舞台になった場所なども見られます。本学会を協賛している慶応大学の先生といろいろお話をさせていただきましたが、歴史に対する造詣も深く、まさしく教養があふれている、というのはこのようなことだと感じました。

高校生の皆さんへ:俺は理系だから歴史なんて、とは思わないでください。多くのことを学んで吸収しておくと、ある年齢を超えたときから、幅がでてきます。また、そのようなことが必要になると思います。


個人的には、日本人町を舞台にした平岩弓枝の小説、「風の墓標」が強く記憶と印象に残っています。私が学生時代か、就職してまもなく読んだ小説です。読んだことのある方はいらっしゃいますか? 読後感を語り合いたいものです。今読むと、どんな気持ちになるかは不明。残念ですが、日本人町の遺跡はほとんど残っていません。

  
 
 
 
 
 


さて、翌日は夜の飛行機搭乗の前に、バンコク市内を散策しました。地下鉄などを乗り継いで、チャオプラヤー川という市内中心を流れる大河の桟橋から船に乗って王宮に行きました。写真を掲載しますが、様々な由来、由緒がある建造物だと思うのですが、単に外観を見ているだけになっています。もったいない、と思いながら、学会に来る前の準備や日々の業務などがあり、下調べができないのが残念です。「忙しいからできないのではない。優先順位が低いから出来ないのである。」という至言がありますが、まさしく、時間がないからできないのではなく、やる気がないから出来ないのです。

王宮の後は、川沿いにちょっと(のつもりがかなり)歩いて、別の桟橋からフェリーに乗ることにしました。道に迷ったというか、船の運航形態が分からなかったので、不自由しました。バンコク市内は、世界の有名都市に負けない非常に洗練したエリアと、日本の昭和30年代を思わせるような猥雑したエリアが混在していることを実感しました。


昼食後、菅谷君、土屋君と分かれ、彼らは市内探索の継続とみやげ物購入、私は念願のタイ式SPAを堪能しました。あんなに時間が短く感じたことは、最近は記憶にありません。
 










編集後記
深夜に寝ている間に着くと早朝、ということで、タイは改めて身近な国であることを実感しました。学会では、おもてなしの一環で?Coffee Breakでのスイーツの提供があり、毎回の休憩ごとにそれをしっかり食べていました(朝、昼はバイキング、夜は皆と会食)。小生、海外出張から帰国時は、バスターミナルに直結している横浜のスカイスパによって、機内泊の汗を流すことが多いのですが、体重計を確認すると臨界点に近くなっていました。今までの苦労が台無しになりそうですが、タイではそれに対抗できる経験ができた、と思っています。学生諸君も満足していると思います。

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